「働く」って何だっけ?

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070416/122878/

総論としては賛成も共感もするんだけども。

日本人の報酬観も独特です。「給料や年収」「役職や地位」はもちろんなのですが、これら以外の目に見えない「4つの報酬」を重視している。
 第1に「働きがいのある仕事」。これは「仕事の報酬は仕事」という考え方に通じる。第2に「職業人としての能力」。腕を磨くことそのものに喜びを感じるのです。「求道、これ道なり」という名言があって、道を歩むことそのものが幸せな状態だと思っている。
 第3が「人間としての成長」。腕を磨くということは、すなわち、己を磨くこと。「人間成長」が報酬だと思っている。だから、定年退職の時に、「おかげさまでこの会社で成長させていただきました」と感謝するんですね。そして第4が、「良き仲間との出会い」。「縁」という思想です。
 これら4つが、日本人が働くことの喜び、つまり報酬になっている。そのことをしっかり見つめ直しておかないと、欧米的な経営を後ろから追い続けるだけで、日本的経営の新しい姿は見えてこないでしょう。

自分が選ぼうと思えばもっと給料が高くて残業もここまで多くは無い仕事を選べるはずなのに今の仕事をしてるのは、結局こういう理由だと思う。デジタル土方はキツいけど安月給はツラいけど、それでもやっぱり俺は計算機が好きだからっつーか。


でもこの記事を読んでると気分が悪い。何故か。

ところが今、欧米的な労働観と日本的な労働観の狭間で混乱が生じています。給料、年収、役職で報いるということは明確に行うべきですが、それを突き詰めていったところに正解はない。そのことに、本当は皆が薄々感づいているのではないんですか。

突き詰める以前に、そもそも報いてない。IT業界の技術者が「デジタル土方」って呼ばれてるのは(土方の方々には失礼だけど)安月給で過労でへろへろになるぐらいこき使われるのが常態化してるからで、国が「E-Japan」とか言って力入れてる領域でもこんな調子。


何より不愉快なのはこの一文。

ですから、「プロフェッショナリズム」の復活ということを、しっかりやらなければならないと思います。

高度成長期から今まで、技術屋のプロフェッショナリズムは銭勘定を仕事にしてる連中が銭にこだわらない技術屋を搾取するのに利用されてしまっていて、それが今日の色々な社会問題の根になっている。技術屋は技術屋でプロフェッショナルであることで満足していたので搾取されているかどうかなんて考えてもみなかった*1。そういう問題の指摘や反省が一切文章に表れないままこんな一文を安易に書く無神経さ。そら「プロフェッショナリズム」は必要だ。それは否定しない。だけどその前に考えるべきことがあるだろう。


技術で国を立てて行こうと思うなら、技術屋になりたいと思わせる社会を作らないと駄目だ。そして今の日本社会で技術屋になるってのは安月給でこき使われる生活を選ぶってことだ。理系離れは起こるべくして起きている。今の日本を技術面で支えているのは、それがわかっていてもあえて、技術が好きで好きで技術を生業に選んだプロフェッショナル達で、自分もその末席に座っているつもりだ。現場にいて技術屋の待遇改善の必要性を痛感している身としては、外野からただプロフェッショナリズムの復活だけを主張するのは無責任としか思えない。

もともとお金をもらえるから頑張るという文化ではなかったのに、成果主義という言葉を持ち込んで無理やりに「報酬はお金だ」と叫んでいる。実際にはそれほどお金をもらえるわけでもない。メリハリもつかず中途半端なまま。気がつくと、今まで自分たちを鼓舞していた日本的な労働の価値観を希薄化させただけだった。

確かに「報酬はお金だ」と言っておきながら「実際にはそれほどお金をもらえるわけでもない」し「メリハリもつかず中途半端」では頑張ろうって気になるはずも無い。だがそこから「お金は二の次」と言わんばかりの結論に導かれたのではたまったものではない。


「衣食足りて礼節を知る」と言う。礼節を知れと言うのなら、衣食足りるだけの報酬*2を与えなければいけない。それができなければ、日本の技術は滅びる。

*1:右肩上がりの成長を続けていればそれでも困ることは無かったからでもある

*2:それは金銭だったり社会保障だったり残業させず余暇の時間を過ごす余裕だったりの「私生活を充実させるための何か」であって、決して「仕事の報酬は仕事」の類ではありえない