日記を書くということ

このエントリを実弟に捧ぐ。(笑)


10〜数年前には画像と駄文でページ作って公開し、友人知人に宣伝したりしてた。が、当時使ってたホームページ公開サービスの運営方針が嫌になって閉鎖、そのうちデータを別のとこで公開しようと思ったがほとんど何もせず今に至る。場所だけは Geocities に確保してあるからアップロードして目次書き直すだけなんだけど、それすらしてない。
「(誰かに)見て欲しい」と思えば画像の加工、駄文の作成やら推敲やら、アップロードその他の作業もやる気になるしやる。言い換えると、ページの作成はなんだかんだで時間がかかるのでそれなりにモチベーションが無ければやらない続かない。当たり前。
だけどこの日記は違う。「食ったら書く日記」なんかもっと違う。「見られてもまあいいか」とは思ってるけど「見て欲しい」とは思ってない。「見て欲しい」と思ったらこういう内容にはならない。隠したりはしないけど宣伝もしない。便所の落書きのようにそこで用を足す人に見せたいわけでもない。むしろチラシの裏。思いついたことを書いて捨てる。
「だったら公開する必要無いじゃん」ごもっとも。公開する必要も無いけど、別に公開したくない理由も無い*1から公開してる。Web日記を使ってるのはメモ帳で書くより便利そうだったから。どっちにしても公開してること自体には深い意味や理由はない。
「読んで貰うために書く」のは「読まれてもかまわないものを書く」より多くの手間とヒマと気力を必要とする。「見て欲しい」とは思ってないけど日記は書きたい。自分に「他人に読んで貰うために書」き続けるようなモチベーションは無いことは知ってるけど、いつか自分が読み返すための日記は書き続けたいので「読まれてもかまわない」思うことにしてる、つか「読んで貰いたい」とは思わないようにして書くのに必要な手間ヒマ気力を最小化している。
もし何か「読んで貰うために書」きたくなったらこの日記とは別に blog 立ち上げる。


そんな感じでぼちぼち書いてきた。これからもこんな感じで書いていく予定。

*1:若干話題に制約が出るけどそれもあまり気にならない